
今日も行きの電車と昼休みにLIFESHIFTを読み進める。今週中には読み終わるとありがたい。さっさと別の本を読みたいので。
この本は自分の人生に対する参考書としてだけではなく、頭の中の架空の小話(創作物という形で出力されるかはわからない) の種本の一つとしても接している。
SFっぽいものが好きであり、かつ本や出来事を頭の中の世界のネタ元として見る癖がある、という私の性分は、仕事やライフプラン設計の助けとなる書籍や経験へのフットワークを軽くしていくれる。これには大いに助けられている。まだこの感性や好奇心が生きているうちに量をこなして、「ただたんにフットワークが軽い人」へとステップアップしていきたい。
今日は会社の飲み会があった。会社のことなので詳細は語れないけれど、同僚たちの話を見聞きしていると私もこうありたいものだなとしみじみと思う。ぼかしすぎて何を言っているのかわからない。
多少飲みすぎたような気もするけれど、概ね気持ちよく酔っ払うことができた。そんなわけで、私の心にウゾウゾと企みの種が芽生える。
「シメのラーメンというやつをやってみたい」
大学時代私は金欠を友としていた。千円で泥酔できるようなロクでもない店でロクでもない酔い方をすることを、金銭面の事情で強いられつつも、ある種のバンカラとして楽しんでいた。そのためシメのラーメンなどという破廉恥な行いに手を出せるわけもなく、コンビニのゆで卵を食べながらブランコに乗って前後不覚になるのが私の慎ましやかな飲酒後の所作だった。
だけれど、もう私は社会人だ。飲み会の後ラーメンを食べるくらいの金はある。体重はそろそろまずいことになっているけれども、「二十代の貯金と年末年始のダイエットはバカの趣味」と世の人も言う。
そんなわけで、私は我らが赤羽駅東口は近くの「伊藤」に立ち寄った。

薄口の煮干しのスープに硬い細麺が入っている、という割合シンプルなもので、シメのラーメンとしては適切なタイプと言える。
結論から言えば多分私はシメのラーメンを楽しめるタイプの人間ではないということがわかった。なんというか、「今じゃねえな」という気持ちが勝る。
多分後二年くらいはシメのラーメンをやるためにシメのラーメンを食べはしないだろう。
ラーメンといえばこれが面白かった。
ラーメンに完結した話ではなくむしろ日本の麺食文化の歴史を紐解いた本と言える。
私の母方の実家は寺で、お盆の時期になると檀家さんが集まってうどんを打つ催しが開かれる。なんだこの奇祭はと幼い時分は訝しんでいたものの、この本を読んで思い返すに、あれは極めて正しい眺めだったのかもしれないと、新橋の立ち食い蕎麦屋で考え直した覚えがある。
新橋のおくとねという立ち食い蕎麦屋の舞茸天蕎麦は本当に美味しいので立ち寄る際は絶対に食べたほうがいいです。