青井タイル店

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読んだ本のメモ:名著の中の隠れ奇書 遅塚 忠躬『フランス革命:歴史における劇薬』

 近況

 7月15日にコロナを発症してから、まる半月経った。

 現状の症状としては

  • 謎の微熱
  • 膝、足首あたりの倦怠感
  • 頭のぼんやり
  • 味覚の変化
  • 嗅覚の鋭敏化?

 となる。

 上四つは素朴に苦しく、大体のものが手につかない。仕事、勉強、背伸びした本、萌え・アニメ鑑賞には全く取り掛かれておらず、寝転がって簡単な本をダラダラと読む、という暮らしを相変わらず送っている。これで頭が回れば最高の夏休みではあるものの、頭が回らないしやるべき仕事も全くやれていないしで、あまり愉快な療養生活ではない。

 下二つもなかなか厄介で、塩分の感知が若干鈍くなったように思う。このままでは身体に悪い味付けをしてしまう。また、麦茶が若干生臭く思えるのも、シンプルに暮らしのストレスになる。沙耶の唄みたいだね。人生で初めてやったエロゲー沙耶の唄です。携帯小説のプラットフォームで連載していた自作の現代異能バトル小説にも、沙耶のパクリみたいなキャラクターを出していました。私は本当の人生を歩む、本当の人間です。

 

 辛気臭い。ので、読んだ本の感想を書いておく。

 

 

 インターネットではフランス革命を批判するのが基本の型となりつつある。高校で世界史を齧った人間がイギリスの悪辣さではしゃぐようなアレに加え、いわゆるリベラル・左翼とされる人々の「お利口さ」に対する反感から、その手の批判が流行っているのだろうか。パリオリンピックの開会式のあれこれもあり、またフランス革命に否定的なツイートが頻繁に目に入った。歴史が繰り返すかはわからないけど、インターネットは繰り返すのだ。

 時間は膨大にあるし、頭もろくに回らない。インターネットをやるにも画面を見続けるのがしんどい。ということで、大昔に読んで内容をほとんど忘れたフランス革命本を読むことにした。 遅塚 忠躬『フランス革命:歴史における劇薬』である。

 

 この本はもっぱら評判が良く、「岩波ジュニア新書っていい本あるけど、名前のせいで手にとってない人もいるだろうから勿体無いよね」という2年に1回くらい発生する話題(インターネットは繰り返す)の中で挙げられる本の両翼を担っている。もう一方はもちろん『砂糖の世界史』です。

 

 フランス革命は民主主義の礎を築いた一方で、戦争や恐怖政治を引き起こし、多くの犠牲を伴った、というのははどのようなスタンスの人でも認めることだと思う。著者はこのフランス革命を「劇薬」とたとえ、その効果と副作用の双方を説明してみせる。

 その説明の巧みさ、革命の整理のわかりやすさについては、言うまでもないだろう。インターネットで散々評価されているし。フランス革命について大まかにどんな流れがあり、どんな勢力がどんなことを考えていたのか、ということをバクっと知りたければ、とりあえず読んでおいて間違いはない。インターネットもそう言っている。(ただし端折っているところは多いので、あくまで大枠の理解に向いている、という評価に留まる。)

 

 感想を端的にまとめると、変な本だと思う。悪い意味ではない。まず、散々フランス革命の悲惨さも語っておきながら、それをひっくるめてフランス革命を「青春(葛藤に溢れた「青銅時代」)」にたとえている。なかなかできることではない。レーベルが「ジュニア新書」ということもあり、著者は読者を十代中頃の子供達と設定している。なので語り口も常に子供に向けたものだ。そういう語り口の中「みなさんは青春に生きていますね」「フランス革命も青春です」といったようなことを、真顔で語ってくる。距離感のおかしい熱心な教師といった趣を感じる。

 他にも、『パンセ』を読んだことがあるか尋ねてきたり、病床の岩倉具視を訪ねる明治天皇の絵の話を熱く語り出したりと、すごい速さですごいボールを投げてくる本でもある。全般的に、圧が強い。フランス革命を整理した本である一方で、「教育書」でもあるから、著者の人間観や道徳観があまり希釈されずに書かれているのだろう。

 この本の変な圧の強さを象徴するのが、序の締めくくりとなる次の一節だ。

 青銅時代にさしかかった皆さん。人間と生まれたからには、人間らしく、充実した人生を生きようではありませんか。充実した人生、それは、感動することの多い、涙を失うことのない人生ではないでしょうか。

 今日日、生き方のべき論を見かけることはあまりないし、それが辛さの受容を含めたものであることはまずない。「フランス革命について簡単な理解を得られる」という本来の面白みはもちろんあるけれど、「青少年の教育のために」と注ぎ込まれたものの暑苦しさもまた楽しめる一冊だ。炎上というもののない時代の人間だけが書けた、一切の留保のない人間観に触れられる。

 

 全くの余談。上の年代、とりわけ戦中に子供であったような世代の人々の「青春」という言葉に込める意味は、90年代生まれの俺からすると、とてつもなく重い感じがする。俺が「青春」と言えば「ポカリスエットのCMか四畳半神話大系のような若々しさ、未熟さ、懐かしさ」「あのなぜか俺らいい大人も一緒になって喜ぶ、金になるやつ」くらいの意味しか持たない。けれど、彼らの言う「青春」には人間存在や自由意志の可能性やら崇高さが込められているように思う。青春がめちゃくちゃに崇高なものとして語られていると、これは上の世代の文だなと思う。